ふたごあるある『いれかわる』

昨夜、ある番組で、似ている双子が入れ替わったら気づくか? という実験をやっていた。

小学生低学年くらいの男の子の双子が、父親で実験した件は見逃してしまったけれど…

高校生くらいの女の子が、できたばかりの彼氏での件をみた。

結果は、ちゃんと見分けられていたけど、自信が持てなかったようで、挙動が微笑ましかった。

実験前に、見分けて欲しいけど、やるからにはバレないで欲しいという複雑な心境を語っていたのが印象的だった。

ずっと似ていると言われてきた双子は、
似ているといわれると、個として認識されていない気がして不満だし、
似ていないといわれても、一卵性(らしい)双子としてどうなのかと寂しく感じたりする。

似ていることが、コンプレックスでありアイデンティティでもある。

だから、どれだけの人が見分けられて、見分けられないのか、入れ替わって実験してみたくなることもある。


ラブコ&ピーコの母親も双子だけれど、同じクラスの右左に座っていたのを入れ替わったことがあるらしい。

ラブピーも、中学の頃、クラスが違ったので、美術と社会の授業を入れ替わったことがある。

騙せるとは思えない同級生には明かしていたし、美術の先生が部活の顧問だったので授業開始早々に白状したので、実質社会の先生だけを騙す形だったけど。

双子のイベントに参加してくれた方の話やサイトを巡ると、学校を入れ替わった話や、実験ではなく犯罪紛いな話も聞いたことがある。

結局のところ、年齢が高くなるにつれ、身近な存在であればあるほど、入れ替わりで騙すのは難しいのだろうと思う。
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ふたごあるある『「ひとつひとつ」と「ひとつ」』

先日、サンドラ・ヘフェリン著『ハーフが美人なんて妄想ですから!!―困った「純ジャパ」との闘いの日々』(中央公論新社)という本を読みました。

この本には、国籍や人種が異なる父母(主に西洋と日本)の間に生まれた人々が遭遇するあるある話が載っています。

こういったあるある話は、様々な意味で特殊な外観や何かを持っている人々に、同様な本が書けるものだよなと思います。

あるある話のきっかけは、単なる好奇心による悪意のないものから、差別的なものまで様々だけれども…

悪意のないものは、それを指摘するのは逆にこちらが悪いような気がしてしまうなど、なかなか気づいてもらえなかったりします。

結局は、それがどんなものにせよ、相手の立場を知ることができなければ、なかなか気使えなかったりするのも仕方がないのかもしれません。

だから、こうした書籍などで知識をえる場を提供するのはいいなと思います。

というわけで、
書籍にするほどの文章力(特にまとめる力)はないので、
ふたご あるあるを気づいた時に記事にしてみることにします。

今回は『「ひとつひとつ」と「ひとつ」』について…

あなたはふたごを、まとめてひとつにしていませんか?



これは良い面・悪い面を持つ話です。

まずは良い側面、共有の話から…

例えば、私たち双子は小遣いは個々に貰っていました。
けれど、ひとりの小遣いでは入手できない欲しいものは小遣いを合わせて買い、必要があれば後でもうひとつ買い足すなどしていました。

ひとつで足りるものであれば、別の目的にまわすなどもでき、便利でした。

もちろん全ての関心が共通しているわけではないので、欲しいものが合わない場合などは、相談とか我の強い方が押し通すとかその時々で色々に小遣いを使っていましたが…
興味が似通っていることもあり、共有や協力はよくやっていました。

今は生活が別々なので、あまり共有したり協力したりする機会はないけれど…

昨年、ふたりの名義で大きな買い物をしたのも、その延長線のことだったりします。


こういったことは、ふたりが自ら決める(それが相手に押し切られたことだとしてもそれを許したともいえる)ことなので、ふたりでひとつでも満足なわけです。(多少のわだかまりがある場合もありますが…)


しかし、これが他人に決められたことであると不満になります、時には憤慨することも。

つまり悪い側面です。

例えば、誕生日のケーキがふたりでひとつというのは残念です。
でも、それは家計の事情とか、それが家庭として当たり前になっていたりして、残念とも思わないことも多かったりします。

でも、ケーキはひとつで納得できても、お祝いの品がふたりでひとつだと、悲しくないわけがありません。

幸い、私たちの両親は家計が厳しくても、誕生日のお祝いはケーキも合わせてふたりにひとつひとつ与えてくれました。
母も双子だから、そこのところは抜かりありません。

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