ふたごあるある『「ひとつひとつ」と「ひとつ」』

先日、サンドラ・ヘフェリン著『ハーフが美人なんて妄想ですから!!―困った「純ジャパ」との闘いの日々』(中央公論新社)という本を読みました。

この本には、国籍や人種が異なる父母(主に西洋と日本)の間に生まれた人々が遭遇するあるある話が載っています。

こういったあるある話は、様々な意味で特殊な外観や何かを持っている人々に、同様な本が書けるものだよなと思います。

あるある話のきっかけは、単なる好奇心による悪意のないものから、差別的なものまで様々だけれども…

悪意のないものは、それを指摘するのは逆にこちらが悪いような気がしてしまうなど、なかなか気づいてもらえなかったりします。

結局は、それがどんなものにせよ、相手の立場を知ることができなければ、なかなか気使えなかったりするのも仕方がないのかもしれません。

だから、こうした書籍などで知識をえる場を提供するのはいいなと思います。

というわけで、
書籍にするほどの文章力(特にまとめる力)はないので、
ふたご あるあるを気づいた時に記事にしてみることにします。

今回は『「ひとつひとつ」と「ひとつ」』について…

あなたはふたごを、まとめてひとつにしていませんか?



これは良い面・悪い面を持つ話です。

まずは良い側面、共有の話から…

例えば、私たち双子は小遣いは個々に貰っていました。
けれど、ひとりの小遣いでは入手できない欲しいものは小遣いを合わせて買い、必要があれば後でもうひとつ買い足すなどしていました。

ひとつで足りるものであれば、別の目的にまわすなどもでき、便利でした。

もちろん全ての関心が共通しているわけではないので、欲しいものが合わない場合などは、相談とか我の強い方が押し通すとかその時々で色々に小遣いを使っていましたが…
興味が似通っていることもあり、共有や協力はよくやっていました。

今は生活が別々なので、あまり共有したり協力したりする機会はないけれど…

昨年、ふたりの名義で大きな買い物をしたのも、その延長線のことだったりします。


こういったことは、ふたりが自ら決める(それが相手に押し切られたことだとしてもそれを許したともいえる)ことなので、ふたりでひとつでも満足なわけです。(多少のわだかまりがある場合もありますが…)


しかし、これが他人に決められたことであると不満になります、時には憤慨することも。

つまり悪い側面です。

例えば、誕生日のケーキがふたりでひとつというのは残念です。
でも、それは家計の事情とか、それが家庭として当たり前になっていたりして、残念とも思わないことも多かったりします。

でも、ケーキはひとつで納得できても、お祝いの品がふたりでひとつだと、悲しくないわけがありません。

幸い、私たちの両親は家計が厳しくても、誕生日のお祝いはケーキも合わせてふたりにひとつひとつ与えてくれました。
母も双子だから、そこのところは抜かりありません。

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